「恨(ハン)」と母の呪縛

日常のいたるところで思い出させる母からの言葉の呪縛。

例えば、「秋代は利己主義、自分勝手」言葉の意味もわからない時から言われ続けた、母のわたしに対する評価。

何か罪悪感を感じるときは突き詰めて分析していくと、大抵母の「秋代は利己主義、自分勝手」に端を発していることがわかります。

無力感と孤独感は、「お父さんはお前が女の子だったからがっかりして、名前さえ考えなかった。」に起因しています。

あまりに強い母の言葉の呪縛!

わたしがこれを「恨」と結びつけた経験は、母のパートの職場に、私と同い年の女の子がいる同僚がいて、母とその方は、気が合わないらしく、家に帰ってくると、その方の悪口を聞かされて育ちました。そして、その方に道であったり、その方のお嬢さんにあったりすると自分は全く関係ないのに、ちょっとイヤーな気分に。彼女たちも同じだったかも知れない。結局自分の体験ではなく、誰かの経験から、語り継がれる事により魂に刻み込まれてしまうとのではないかと。

わたしは親が子供に言い続ける言葉の数々がが朝鮮民族に受け継がれる「恨」の精神の源ではないかと推察します。

「恨とは?」

以下ウィキペディアによると:

朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれ[3]や妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は「恨の文化」とも呼ばれる。

恨の文化は、代々の王権や両班による苛斂誅求を極めた階級的支配に対する民衆の抵抗意識と、漢代の昔より幾度となく半島を襲った中国からの異民族(漢族モンゴル族女真族ほか)による侵略・征服で永続的な服従を余儀なくされた国辱を引きずり、日本(大日本帝国)による併合が「長い抑圧と屈辱の歴史」であったという事実を省みない一方的な主張の元で行われる反日教育や、内外の圧倒的な力に依存性せざるを得なかった朝鮮半島独特の文化である。

また恨の形成の裏には、儒教の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったことが背景にあったと言われ、それは上位者の下位者に対する苛烈な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場を受容しなければならないとする解釈になった。

朝鮮の独立が民族運動として失敗して弾圧され、自らの力でなく第二次世界大戦の講和交渉として、頭ごなしに連合軍の力によって達成されたことは、後の世代の「恨」となった。また韓国について言えば、独立後の外圧によって成立した李承晩政権の腐敗した独裁政治、朴正煕の鉄拳統治、さらにそれ以後の軍事政権光州事件など、内なる弾圧の歴史も「恨」となっている。それで今日得られなかった勝利の代替物として、あるいは抵抗精神の表れとして、例えばスポーツなどにおける日韓戦に必要以上に熱狂[4]したり、与野党の争いや労働組合の労使紛争において憤りの余り過激な行動をとったりするのである。

話しは変わって、

今日、太極拳のクラスの前に、クラスメイトとサンフランシスコ領事館前に設置された慰安婦像のことで言い争いになり、彼は、日本政府が謝罪するべきだといい、私はもうそんなの何度もしているし、たくさんのお金を韓国に払っているし、正直私個人としては、何もできないと言いました。

冷静になって考えると、そして何で韓国の男性は、彼女たちを守ってあげなかったのか?彼女たちの救いは韓国に限らず女性を性的な搾取の犠牲者にさせない事ではないかと思いました。

今の私たちは過去のエネルギーを癒す力と方法を与えられています。私と同じように大人から一方的に「恨」を植え付けられた人も癒されることが出来ます。

あきよMURAの活動では「癒し」が大きな部分を占めています。

 

 

 

 

 

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