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今までの私だったら
多分このままこの部屋を飛び出して
しまっていたと思います。
でも、今回は違います。
私は部屋に残り、教会指導者の
言葉を読んでいる教師の言葉を
聴きながらその部屋にとどまっていました。
![](http://oheso-akiyo.com/wp-content/uploads/2018/07/tokyo_japan_temple_lds-300x168.jpg)
私は20年前まで末日聖徒キリスト教会の
会員でした。
18歳で改宗し、27歳で仕事を辞め
宣教師として九州で1年半奉仕しました。
帰還後は、教会員が経営する会社に
入社し、同じく帰還宣教師だった夫と結婚して
サンフランシスコに来た後も毎週教会に行き
「家族は永遠に」という教会の教えを信じて
頑張っていました。
二人の娘が生まれて、これで本当の家族になれた
と喜んだのも束の間、本当はゲイの夫は
教会員のゲイの兄弟たちに対する
態度の悪さや、夫自身の罪悪感、
仕事と大学の勉強の忙しさ、
全てが夫を教会から遠ざけて行きました。
私はそれでも子供たちを教会で育てたいと
思っていたので、頑張って頑張って毎週、
教会に行っていました。
前にブログ「私がどうして末日聖徒イエスキリスト
教会を離れたのか」でも説明しましたが、
1989年の選挙の時に教会の指導者がカリフォルニア州の
教会員に向けて、「同性同士の結婚の提議には
必ずNOと投票するように。」という指示が出されました。
宗教と政治は別々にすべきものとアメリカ合衆国の
政治を学んでいた私は、教会の中に巣食う
人種差別、homophobicに嫌気がさし、
教会を離れました。
![](http://oheso-akiyo.com/wp-content/uploads/2018/07/kirsty-lee-604440-unsplash-300x200.jpg)
LGBTQQ
その後夫はカミングアウトし、私もバイセクシャルと
してカミングアウトしました。
今回、テキサスに住む親友を訪ねるにあたり、
活発な教会員である彼女と一緒に教会に行くことにしました。
ヒューストンでお世話になった友達は、
私が18で改宗した時洗礼を施してくれた
元宣教師と、教会員のカップルでした。
私が教会を離れても、昔と変わらず接してくれる
数少ない教会員の友達です。
20年私が教会を離れている間に
教会の指導者も変わり、
色々な変化が見られるようですが、
私が参加した、扶助協会(成人女性の集まり)では
教会の教会の指導者が定期大会でした
スピーチをもとに話をしていました。
「結婚は男性と女性間のみに認められるべきです。
この地上には男性と女性しかいません。
神様が決められた性別に見合った生活をすべきです。」
これを聞いた時、私の纏っているエネルギーが
ゾワっとそそけ立ったのを感じました。
隣に座っていた友達もそれに気づいたようでした。
そこで私の中で葛藤が始まりました。
神様は私たちに「キリストの光」と呼ばれる
「自由意志」を与えてくださっています。
結婚は愛し合う二人の人がするものであり
性別に捉われるべきではないと信じている
私にとって、教会指導者の説教を読んでる
教師に対して、真っ向から反論しようかどうか
迷いました。
![](http://oheso-akiyo.com/wp-content/uploads/2018/07/grace-madeline-493240-unsplash-300x200.jpg)
でもそんなことをしたら
教会に連れてきてくれた友人に対して
失礼だし、彼女の顔を潰すことになるかな?
啖呵をきって部屋を飛び出すのは簡単だけど
それだけじゃ解決にならない。
この経験は私が何かを学ぶために必要なこと。
そう思い直して、腰を据えました。
最後まで、集会に参加し、
後になってゆっくり考えました。
教会から帰ってくると
友達が、「今日はヘビーな集会になっちゃったね。」
と言ってくれました。
「今日の教師の人の息子はゲイなんだけどね。」
「うっそー。自分の子がゲイなのにあんなこと言うの?
変だよ!洗脳されてるの?」
次の日、ヒューストンに引っ越した元ハウスメイトの
元に行った時に教会でのことを話すと、彼は、
「どうして、部屋出て行かなかったんだ?
そこで黙ってるってことはそのナンセンスを受け入れて
いるってことじゃないか!」
と怒られましたが、私は、
この経験は絶対意味があるんだと説明し、
更に自分との対話を繰り返しました。
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サンフランシスコに帰ってきて
ゆっくりと考えました。
今回の経験は
私は教会という閉鎖された世界で、
結婚は男性と女性しかできない。
同性愛は罪、と常に言われ続け、
教会なんてナンボのもんと思っても
神様に対する生まれた時からの信仰心で
縛られて前に進めない
LGBTQの人々の気持ちを理解する
ためだったのではないかと思い至りました。
元宣教師より、
一言。
キリスト教の神髄は
愛と許し、そして受け入れることだと
私は思います。
たとえ教えがどんなに正しくても
人の思いが神様の教えを
曲解し、人の教えになってしまいます。
「人類は皆神様の子供。」でしょう?
。
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