アメリカでは、私の名前は、Akiyo です。
スペイン語系の人には「Aqui Yo」(私はここにいる。)
私が自分の私が自分の名前にコンプレックスを
持ち始めたのは、本当に小さい時でした。
母親ヴァージョン
母は、毎年誕生日(みかんもぎの真っ最中)になると、
一年に一回は、私が生まれた時のことを、みんなに話すのです。
私が生まれた時に、新米の助産婦の叔母が取り上げる手はずだったのに
思わぬ難産で、大雨のなか産婦人科の先生を呼びに行って、
産道に引っ掛かってしまった私は、鉗子を使って引っ張り出されたこと、
その他諸々、小さい時から耳にタコです。
その中に、私の名前の由来というのがあります。
母によれば私が生まれた時、男の子の名前だけを
考えていた父は、生まれた私が女のこと知って
たいそうがっかりして、私の名前を考えていなくて、
母方の祖父が、「秋に生まれたから、秋代でいいかな。」
とひどく安直にきめられたと事あるごとに言われていたので
大人になってもまだ自分の名前が嫌いでした。
父親ヴァージョン
56歳の時、父に本当のことを直接問い詰めてやろうと
電話をかけ、以下の質問をしました。
秋代:お母さんによれば、私が生まれた時
お父さんはがっかりして名前を考えもしなかった
と聞いているがそれは本当か?
父:がっかりしたのは、本当。でも夜勤明けで、
いとこのオートバイをかりて(無免許で)
お前とお母さんに会いに行ったんだぞ。
名前はみんなでいろんな候補を挙げたんだ。
「あき」というのは、俺の従姉妹の名前で…
(声を潜めて)憧れてたんだ。
秋代:だからって娘の名前にする?お父さん、それ、お母さん知ってる?
父:いやー多分知らない。
以上。
正直なところ、自分の名前の本当のルーツを知って、
ちょっと嬉しくなってしまいました。
お父さん、ちょっと可愛いかなっとも思いました。
もう今更、名前を変える必要性もないし、
最近は、自分の名前も結構気に入っています。
直接、父の言い分を聞いてよかったと思います。
母の言うことだけを鵜呑みにしていたら
今のように自分の名前に対して、愛情を持てなかったかも
しれません。
自分の名前の由来を知ってますか?
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