今までの私だったら
多分このままこの部屋を飛び出して
しまっていたと思います。
でも、今回は違います。
私は部屋に残り、教会指導者の
言葉を読んでいる教師の言葉を
聴きながらその部屋にとどまっていました。
私は20年前まで末日聖徒キリスト教会の
会員でした。
18歳で改宗し、27歳で仕事を辞め
宣教師として九州で1年半奉仕しました。
帰還後は、教会員が経営する会社に
入社し、同じく帰還宣教師だった夫と結婚して
サンフランシスコに来た後も毎週教会に行き
「家族は永遠に」という教会の教えを信じて
頑張っていました。
二人の娘が生まれて、これで本当の家族になれた
と喜んだのも束の間、本当はゲイの夫は
教会員のゲイの兄弟たちに対する
態度の悪さや、夫自身の罪悪感、
仕事と大学の勉強の忙しさ、
全てが夫を教会から遠ざけて行きました。
私はそれでも子供たちを教会で育てたいと
思っていたので、頑張って頑張って毎週、
教会に行っていました。
前にブログ「私がどうして末日聖徒イエスキリスト
教会を離れたのか」でも説明しましたが、
1989年の選挙の時に教会の指導者がカリフォルニア州の
教会員に向けて、「同性同士の結婚の提議には
必ずNOと投票するように。」という指示が出されました。
宗教と政治は別々にすべきものとアメリカ合衆国の
政治を学んでいた私は、教会の中に巣食う
人種差別、homophobicに嫌気がさし、
教会を離れました。
その後夫はカミングアウトし、私もバイセクシャルと
してカミングアウトしました。
今回、テキサスに住む親友を訪ねるにあたり、
活発な教会員である彼女と一緒に教会に行くことにしました。
ヒューストンでお世話になった友達は、
私が18で改宗した時洗礼を施してくれた
元宣教師と、教会員のカップルでした。
私が教会を離れても、昔と変わらず接してくれる
数少ない教会員の友達です。
20年私が教会を離れている間に
教会の指導者も変わり、
色々な変化が見られるようですが、
私が参加した、扶助協会(成人女性の集まり)では
教会の教会の指導者が定期大会でした
スピーチをもとに話をしていました。
「結婚は男性と女性間のみに認められるべきです。
この地上には男性と女性しかいません。
神様が決められた性別に見合った生活をすべきです。」
これを聞いた時、私の纏っているエネルギーが
ゾワっとそそけ立ったのを感じました。
隣に座っていた友達もそれに気づいたようでした。
そこで私の中で葛藤が始まりました。
神様は私たちに「キリストの光」と呼ばれる
「自由意志」を与えてくださっています。
結婚は愛し合う二人の人がするものであり
性別に捉われるべきではないと信じている
私にとって、教会指導者の説教を読んでる
教師に対して、真っ向から反論しようかどうか
迷いました。
でもそんなことをしたら
教会に連れてきてくれた友人に対して
失礼だし、彼女の顔を潰すことになるかな?
啖呵をきって部屋を飛び出すのは簡単だけど
それだけじゃ解決にならない。
この経験は私が何かを学ぶために必要なこと。
そう思い直して、腰を据えました。
最後まで、集会に参加し、
後になってゆっくり考えました。
教会から帰ってくると
友達が、「今日はヘビーな集会になっちゃったね。」
と言ってくれました。
「今日の教師の人の息子はゲイなんだけどね。」
「うっそー。自分の子がゲイなのにあんなこと言うの?
変だよ!洗脳されてるの?」
次の日、ヒューストンに引っ越した元ハウスメイトの
元に行った時に教会でのことを話すと、彼は、
「どうして、部屋出て行かなかったんだ?
そこで黙ってるってことはそのナンセンスを受け入れて
いるってことじゃないか!」
と怒られましたが、私は、
この経験は絶対意味があるんだと説明し、
更に自分との対話を繰り返しました。
サンフランシスコに帰ってきて
ゆっくりと考えました。
今回の経験は
私は教会という閉鎖された世界で、
結婚は男性と女性しかできない。
同性愛は罪、と常に言われ続け、
教会なんてナンボのもんと思っても
神様に対する生まれた時からの信仰心で
縛られて前に進めない
LGBTQの人々の気持ちを理解する
ためだったのではないかと思い至りました。
元宣教師より、
一言。
キリスト教の神髄は
愛と許し、そして受け入れることだと
私は思います。
たとえ教えがどんなに正しくても
人の思いが神様の教えを
曲解し、人の教えになってしまいます。
「人類は皆神様の子供。」でしょう?
。
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